| 通算 | 春 | 夏 | ホームラン表(〜2009夏) | トップへ | 大会後の更新 |
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・1924年春の記録00= 1988年に参考記録から正式記録へ ・1947年夏〜91年夏= ラッキーゾーン ・1974年夏〜00○○= 金属バット ・2002年春〜00○○= 飛ばない金属バット ・2007年春〜00○○= 飛ばないボール |
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甲子園で飛び出した本塁打を大会別に分けてみました。時代によって球場、バットなどの 環境が違うので一概に比較はできないのですが、やはり金属バット導入以降は それまでの投手を中心とした守りの野球から攻めの野球に変わったとの印象があります。 猛ノックで鍛えた鉄壁の守りの野球で全国を制覇した69年夏松山商の一色監督が 90年春に新田を率いた時はすっかり打撃のチームで、同じ監督のチームとは思えなかった ファンも多かったと思います。これも時代の流れだったかもしれません。 ラッキーゾーンが撤去された92年春は松井選手(星稜)の本塁打に驚いたものですが、 彼以外はたったの4本(内ランニングホームラン1本)しか出なかったので、 これを境に投手力重視の傾向になる(3塁打も増える)と私は予想していたのですが、 しばらくすると慣れてきたのか、また本塁打がよく出るようになりました。 2002年から飛ばないバットになり、2007年から飛ばないボールが採用される ようになりましたが、これだけ情報が入りやすい時代で、マシンの性能も良いのですから 金属バットであるかぎりはいずれはまた打力上位になって いくだろうな、と私は思っています(私は打撃戦のほうが好きなのでそっちの方がいいです)。 |
| 春 | 夏 |
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| こうして見てみると昭和の終わりあたりが一番本塁打を量産しています。当時の本塁打記録では |
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春の本塁打記録0○= 84年PL学園 8本(現在も継続中)。 1試合の本塁打記録= 84年PL 6本 対砂川北(現在も継続中) |
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夏の本塁打記録0○= 82年池田 7本 →83年PL 8本 →85年PL 10本 0○○○○○○ ○○○→(00年智弁和歌山 11本) 1試合の本塁打記録= 84年PL 4本 対享栄 + 85年PL 4本 対甲西 0○○○○○○ ○○○+00年智弁和歌山 4本 対PL+06年帝京 4本 対如水館 0○○○○○○ ○○○→(06年智弁和歌山 5本 対帝京) |
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とよく打っていますが、打率に関しては85年夏PLの.401が当時最高とさほど高くありません。 近年も打撃上位ですが、特定の何校かが数字を伸ばしている感じです。 |
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夏の打率記録0○○= 97年智弁和歌山 .406 →00年智弁和歌山 .417 →01年日大三 .427 0○○○○○○ ○○○→04年駒大苫小牧 .448 |
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06年夏は非常によく本塁打が飛び出しましたが、試合数よりも本塁打の 数のほうが上回ったのは戦後初ということになります。大会の締めくくりは素晴らしい 投手戦でしたが、いかに打撃戦が多かったかを物語っています。 |
06年2月18日作成 06年8月22日追記 |